あの日あの時あの場所で
その日まではオタクでいられた──
最近の若い人のオタクって、オタク趣味をコミュニケーションの道具の一つとして使うような、結構なリア充だそうですが、いい年の僕は完全に孤立タイプのオタクでした。
アニソンライブとかって観客のノリについていけなそうで行ったことないし。コミケもたまに欲しい本があった時だけ行って、目当てのものを買ったらサッと帰るし。
SNSとかでも特にファン同士の交流とかしたことありませんでした。
昔は僕みたいなオタクが多かったんじゃないかと思います。オタク趣味が世間から日陰の扱いを受けてて、声高に好きなものを語れなかった頃。
評論家の岡田斗司夫氏が何十年も前に、特撮映画の上映会を開いたそうで、まだブルーレイはおろかビデオの機械が一般家庭になかったころですから、上映前から会場の外の待っているお客さんたちの話し声が聞こえてきたそうです。
で、いざ開場してみると、話し声だと思ったのは、お客さんたちがそれぞれ独り言を言っていただけだった。
そんな逸話を聞いたことがあります。まだオタクという言葉もなかった時代。
いくらなんでもシャイすぎるだろ…と思いますが結構自分もそのお客さんと同じようなものかもしれません。
(今は有名百貨店のお中元のカタログの表紙まで、オタク系?のイラストが使われているのですから、世の中変わりすぎでしょ…という印象です)
孤独なオタクライフ
それでもそれを、特に寂しいとは思いませんでしたね。
自分にはそれが合ってるんだ。それで充分楽しいし。と
身の周りに沢山沢山ある、ロボットのプラモや玩具が友達だ。そう嘯いていましたが、自分的にはまんざら冗談でもなかったのです。
漫画「パタリロ」でパタリロが言う「友達はつくらない主義で」というセリフに勝手に共感したりもしていたのでした。(僕の場合はつくらないんじゃなくて、つくれないんだろうって感じですが)
そんな充実したボッチおたスタイルを堪能していた数カ月前。
いつものように夜中にネットサーフィンをしながら考え事をしていました。
いくつもブラウザとタブを立ち上げ、多くのサイトをながら見しつつ、思考を進めていきます。
そんな中、考えが煮詰まってきて、思考が行き詰まりを迎えて。
苦しくなって頭を抱えてうめき声をあげました。
しかし、このようなことは今までも年に二・三回はあることだったのです。
けれどこの時ばかりは違いました。
顔を上げても頭は重いまま。しばらくたっても気分は全く晴れない。
うつに、なっていました。