失オタ・ログ

ダメになってしまったオタクの書き残し

TIGER & WOLF

 

 これまでこのブログには、ある日突然ウツになってしまった僕の病状を載せてきましたが。

 ここををたまたま覗いてしまった人がいて、他人の面倒な闘病のことばかり書いてあったら折角見に来てくださったのに、イヤな気分にさせるかもしれませんね・・・


 ですから今回からは趣向を変えて、何か楽しい! そうですね…ブログのSEOの為の工夫とか書いていこうかと!


 思いましたが。。。

 しかしな……

 こんなもんじゃあねえ……まだ語りたりねぇぜッ! ズン
 

 そもそもウツの専門サイトなどに載ってる抑うつ状態の説明なんか2・3行しかなくて全然ウツの苦しみを書き表せてないんですよね!(苦しみを伝えるのが目的ではないからですがね)


 というわけで、このブログにうっかり迷い込んでしまった人には申し訳ないですが、これからも他人から見たら非常にうっとおしい、ウツの苦しみを綴っていこうと思います。

 

 それに現在進行形でウツにやられちまってる僕ですが、本当にヒドイ時は何もできない、当然ブログを書くことも出来なくなりますから、少しでも動けるうちに何かしら書き残したいなと。

 

 さて僕の場合、ウツになって最もツラいものだったのが(全てツラいといえばそうなんですが)、焦燥感、というヤツです。これはウツの専門サイトの病状に大抵ラインナップされているものです。


 普通の生活していたら、焦燥感なんて仕事やデートの待ち合わせに遅れそうとか、映画やら飛行機に間に合わせないと!という、ごく限られた状況ですよね。(挙げた例、全部うらやましいぜ!今の俺からするとよッ!)

 しかしウツの時には(僕の場合)、常に四六時中、この焦りの感覚に襲われているのです。

 何かしなくては、何か重要なことを、何か意義あることを! 
 いつでもこの衝動が付いて回るのですが、それが既に何かをしてる時でも起こります。

 テレビ見ている時も、猫を撫でている時も、皿を洗っている時も。

 常に、こんなことをしている場合ではない。もっと大事なことが大切なことがあるはずだ、それをやらないと!というのが頭についてまわり、今やってることが無意味で時間の無駄に思えてきてしまうのでした。


 かといって、実際に何か大事なことがあるかといえば別になにもありませんし、何も思いつきません。
 というかウツによって、ささいな作業でも大仕事に思えるようになっていますし、今まで好きだったことを行うのにすら苦痛を感じてしまう状態です。

 

 何かしなくてはという衝動と、何をしても苦痛に感じる精神。この二つが相まって、前門の虎後門の狼に喰いつかれ引っ張られる綱引き状態。


 これがもう辛い辛い辛い。

 数日ごとに変化するウツの症状でも、これはずっと変わらずに存在していて、日々の生気を奪い続けていくのでした。

 

 というわけで今週の苦しみはここまで

次回「睡眠」次週も僕と一緒に地獄に付き合ってもらう!

 

 

 

 

禁じられた言葉

 

 アニメ『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に「ブロックワード」というのが出てきます。


 作中では軍隊が、薬物や洗脳・特殊訓練などで強力な戦闘能力を持たせた少年兵「エクステンデッド」を戦争に使います。

 エクステンデッドは非常に強いのですが、精神的に弱い面があり、その戦闘力も相まって一度暴走されたら、通常の兵士では取り押さえられません。自軍にも損害をもたらす恐れがあります。

 その為にブロックワードがあるのです。


 エクステンデッドに対して暗示づけされた言葉、ごく普通の単語なのですが、を告げると彼らは((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルとなって動けなくなったり、 ・゚・(つД`)・゚・ ウワァァァンと泣きながら帰ろうとしたりと、恐怖に怯えて殆ど戦える状態ではなくなります。
 これにより制御が可能となるわけです。

 

 そんなアニメの中の事象であるブロックワードですが、ウツになった僕にはこれと似たような症状が現れたのです。

 ある言葉を聞いたり見たりすると、それだけで苦痛に感じるほどのストレスを受けるようになりました。

 ウツの初期の頃のそれは、「年齢」や「時間」などに関連するワ-ドで、これらを目や耳にすると、それだけで精神に痛みを味わってしまうのでした。


 テレビでもネットでも大抵の情報には「〇年前の~」や「○○歳で~」などの、年月や人の年に関することが含まれているもので、それを見るたびにエクステンデッドほどではなくても、思わず顔をしかめるぐらいの苦痛を内心に感じていたのでした。

 

 それと関連したもので、ウツの最もヒドイときにおきたのが、「連想」です。ネガティブな。


 一般的にウツの時は考えが悲観的になりやすいので、なるべく前向きに物事を捉えるようにしたり、もしくは考え事自体を余りしないようにする、というのがよく云われる養生の仕方ですが。


 ウツの「連想」の前にはそんなちょこざいな抵抗、通じません。
 なにせ見たものが即、ネガティブに変換されるのですから。


 可愛い2匹の子猫がじゃれ合っている光景を眺めただけで、こんなに仲が良くても死ぬときは老いぼれて独りぼっちになるんだ・・・ という発想が浮かびます。

 これは正に連想ゲームのようで、対象を見たり思い浮かべた次の瞬間に、もうネガティブな考えというか光景が頭に湧きあがってしまうのでした。
 それはもう条件反射みたいになってしまって、明るく考えようと思ってても、物を見たら何か思う間もなく、そのまま悲しい考えに繋がってしまいます。

 

 そしてこの連想を引き起こすのは、特に自分が好きだったものを見た時なのです。ウツになる前は心から好きで生きがいにしていた物たち。

 

 よってアニメや特撮などは、大好きだっただけにこれが酷くなります。
 見続けてるだけで連想がどんどん進み、絶望的な気持ちになっていくのです。
 明るい子供番組を見ている時ですらそうなのです…


 つい数日前まではこんなことなかったのに……

 

 そしてウツの恐ろしいところは、このネガティブな精神状態こそが正常だと思えてくることです。
 むしろこの絶望しかない世界で、普通に生きている人々の方が、何にも考えていない頭空っぽの存在なのではないか。

 しまいにはこのような思いすら、頭をよぎるようになってきます。(これが行き過ぎると被害妄想に繋がっていくのでしょう)

 

 今までのライフスタイルというかライフワークだった、アニメなどを観れなくなり、僕はオタクとしてますます辛い状況に陥っていくのでした。 

  

 

 

ウツのみこ(オッサン)

 

 ある日突然ウツになってしまった僕。


 最近預かりしらぬスキャンダルに巻き込まれた有吉弘行さんが、「まるで狐につままれたよう」とコメントしてましたが、こちとら化け狐に頭くわえられたような衝撃でした。


 ウツの症状というのは本当に人それぞれで、患者さんによって違います。
 軽いウツの場合、自分がウツなのかどうか判断つかない場合があるようですが、僕の時は完全にウツになったと自覚できましたね。

 まあ~、気持ちが持ち上がらない、一切。


 かかって最初の2、3日に現れた症状は、湧き上がる不快感。
 
 ウツの気分というのは、ホントに言葉に出して表現するのが難しい、というか、しっくりくるものがないのですが。

 その苦しんでる最中に考えた例えが、「常に歯医者のドリルで歯を削られてる感じ」というものでした。
 あの駆動音の不快さと体の一部を削られる感覚、そしていつ耐えがたい痛みに襲われるかと気を抜けない恐怖。
 そんな不快感がウツの最初の洗礼でした。

 

 その後に現れたのが絶望感。

 プリキュアなどで、敵が町の人々に絶望を与えて苦しめる、という描写がよくありますが。

 前まではそういうシーンも、直接暴力を振るわれる訳じゃないから大した実害ないよな~、子供アニメだから敵さんも優しいもんだわ~、という感想でしたが。

 いざ自分がウツになり、絶望に囚われる恐ろしさを知ると。
コワッ!プリキュアの敵コワ!もう悪魔じゃんコレ!2・3発殴られたほうが遥かにましだわ、子供に見せていいのかよ!こんなの!

 となってしまうぐらい絶望感とは嫌なものなのですよ。


 頑張って例えてみると、いきなり理由も聞かされずに、暗い地下牢に閉じ込められるような感覚です。
 どうしてこうなったのかも分からず、いつ出られるかも判らず、いつ食料を貰えなくなるかも解らない。

 そんな先のことが一寸先も見えない、恐ろしい牢獄にいるような気分にさせられるのです。普通に部屋にいるだけなのに。
 僕の家は、外れとはいえ一応都内にあるマンションの一室で、食べ物もふんだんにありエアコンも付いてて快適なはずの環境、であるのに心は冷たい地下牢にあるのです。


 そしてまた別の症状が襲ってきます。

 このように僕のウツは、次から次へと新しい苦しみが現れ、一つの苦しみに慣れるということがない。

 優秀な拷問の執行人のように休ませることなく、精神を痛めつけるのでした。

 

 そして次にくる症状。これがオタクである自分を何よりも苦しめることになるのです。 

 

 

 

どうしてこうなった(AA略

 

 皆さんはウツに対してどういう印象をもっていらっしゃいますかね?


 僕は身内に精神的な症状をもってる者がいるので、そういう心の病に関しては理解があるつもりでした。

 それにニュースで時々、ウツの原因物質が発見された!的なのをやってるので、ウツって結構研究が進んでて、いい治療法がある病気なんだろうなと思っておりましたよ…

 

 そんな僕が前回ウツになってしまった訳ですが。

 一番驚いたのは、自分が最もウツからかけ離れた人間だと思っていたからです。

 

僕が考える一般的なウツになる人って

 
〇すごく真面目で責任感がある人

〇そんな人がブラック企業などで過剰な労働にさらされたり、パワハラをうける

〇その結果膨大な疲労により、ストレスからウツを発症する


よく云われるウツって↑こういうパターンが大体ですよね。


でも僕の場合は


〇今までの人生、辛くなったら逃げてきたチャランポラン

〇現在ニート 少しばかりの不労収入と実家への寄生で気楽な暮らし

〇そのためストレスの類は殆ど自覚なし!


こんなふうな感じでした。


 他にも、ウツは完璧主義者がなりやすいとか。
確かに僕もゲームを始める順番や(シリーズは最初の方からとか)玩具の開封の順番とかヘンなこだわりはありましたが、完璧主義というほどのモノでもないはずです。
家とか超汚いし。

 

 あと同じ音楽ばかり聴くのもよくないとありますが…
確かに今年に入ってから、同じアルバム掛けまくってましたが、ちゃんと音楽を聴くようになったのは去年ぐらいからなんですけど…

 

 そして、いまいち自己評価の低い人がなる確率が高いとか…
確かに私は客観的に見るとダメ人間なのですが、謙遜の余地ないほどに。
でも何故か今までは、己への評価が異常に高くて「やれば出来るよ!やんないだけ」という根拠なき自身に満ち溢れていたのです。

こんな私が何故にWHY?

 


 今から思い返すと発病の数日前から、ちょっと落ち込むなこれが五月病ってやつ? というぐらいの軽いものがありましたが、気分が一時的に上下するなんて誰にでもあることですから、まさかそれが前兆であるなんて思いもよらなかったのでした。

 

 
 だからウツになったのは自分的には正に、一撃死という感覚でしたね。

 突然家にトラックが飛び込んできた。
 
 そのぐらいに唐突かつ最悪なものでした。

 

 

あの日あの時あの場所で

 

 その日まではオタクでいられた──

 

 最近の若い人のオタクって、オタク趣味をコミュニケーションの道具の一つとして使うような、結構なリア充だそうですが、いい年の僕は完全に孤立タイプのオタクでした。


 アニソンライブとかって観客のノリについていけなそうで行ったことないし。コミケもたまに欲しい本があった時だけ行って、目当てのものを買ったらサッと帰るし。
SNSとかでも特にファン同士の交流とかしたことありませんでした。

 

 昔は僕みたいなオタクが多かったんじゃないかと思います。オタク趣味が世間から日陰の扱いを受けてて、声高に好きなものを語れなかった頃。

 評論家の岡田斗司夫氏が何十年も前に、特撮映画の上映会を開いたそうで、まだブルーレイはおろかビデオの機械が一般家庭になかったころですから、上映前から会場の外の待っているお客さんたちの話し声が聞こえてきたそうです。
 で、いざ開場してみると、話し声だと思ったのは、お客さんたちがそれぞれ独り言を言っていただけだった。
 
 
 そんな逸話を聞いたことがあります。まだオタクという言葉もなかった時代。
 いくらなんでもシャイすぎるだろ…と思いますが結構自分もそのお客さんと同じようなものかもしれません。

(今は有名百貨店のお中元のカタログの表紙まで、オタク系?のイラストが使われているのですから、世の中変わりすぎでしょ…という印象です)

 

 孤独なオタクライフ
 それでもそれを、特に寂しいとは思いませんでしたね。
 自分にはそれが合ってるんだ。それで充分楽しいし。と


 身の周りに沢山沢山ある、ロボットのプラモや玩具が友達だ。そう嘯いていましたが、自分的にはまんざら冗談でもなかったのです。

 漫画「パタリロ」でパタリロが言う「友達はつくらない主義で」というセリフに勝手に共感したりもしていたのでした。(僕の場合はつくらないんじゃなくて、つくれないんだろうって感じですが)

 

そんな充実したボッチおたスタイルを堪能していた数カ月前。

 いつものように夜中にネットサーフィンをしながら考え事をしていました。
 いくつもブラウザとタブを立ち上げ、多くのサイトをながら見しつつ、思考を進めていきます。
 そんな中、考えが煮詰まってきて、思考が行き詰まりを迎えて。

 
 苦しくなって頭を抱えてうめき声をあげました。

 しかし、このようなことは今までも年に二・三回はあることだったのです。


 けれどこの時ばかりは違いました。
顔を上げても頭は重いまま。しばらくたっても気分は全く晴れない。

 

 うつに、なっていました。